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歴史

湯倉神社は
湯の川温泉の鎮守として
親しまれています。

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松前藩主高広が幼少の折に重い病にかかり、母の夢のお告げによってこの地の温泉に入浴したところ快癒したという故事が伝わっており、湯倉神社にはこのお礼として奉納された鰐口(わにくち)が今も残っています。
湯倉神社の祭神は、「おおなむちの神」と「すくなひこなの神」。この2柱はともに協力して日本の国造りや国土の経営を行ったとされる神で、人や家畜のための病の療法を定めたそう。温泉と医薬について特にご神徳を授かることができます。 また、「すくなひこなの神」はお酒の神様としても知られています。

由緒

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伝説によると、五百余年前の享徳二年(1453年)頃、一人のきこりが家に帰る途中に小高い丘(現在の湯倉神社のあたり)で一休みをしていたところ、沼沢地で湯気が立っているのを発見し、近づいて手を入れてみると湧き湯でした。その後、きこりが病気になり腕の関節の痛みがひどくなったとき、湧き湯のことを思い出し、湯治をしたところ、程なくして病気が治りました。そこで、きこりはそのお礼にと薬師如来を刻み、小さな祠(ほこら)を建てて安置したのが、湯倉神社の起源であり、今日の湯の川温泉の始まりであります。
 以上は言い伝えですが、享保二年(1717年)松前藩調べによると「建立百年位」との記述があり、元和三年(1617年)には湯座に薬師如来を祀っていたとされています。又、明らかな事実及び現存する社宝によって明確な由緒があります。松前藩第九代藩主高広が、幼少時千勝丸といったとき、承応二年(1653年)に重い病気になり、医者や薬の甲斐もなく日に日に悪くなるばかりでしたが、ある夜、母・清涼院が夢で「松前の東に当たって、不思議に病に効く温泉がある。そこへ行けばどんな病でも治る」という神のお告げを受けました。早速、家来を向かわせたところ温泉を発見し、千勝丸を湯治させると間もなく全快したとのことでした。翌年の承応三年(1654年)に清涼院は、そのお礼にと社殿を改造し、知内産の砂金で五寸四分(約16センチメートル)の薬師如来像を安置し、直径六寸三分(約19センチメートル)の鰐口を奉納しました。以来、この地域に暮らす人々に「心の拠り所」として永く崇敬され、明治九年(1876年)に「村社」に列格され、昭和十六年(1941年)には現在の社殿が造営されて御神徳は益々高揚し、街の発展と共に現在に至っております。

御祭神

大己貴神(おおなむちのかみ)

別名大国主命、大物主命、大穴牟遅神。
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祖とする天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)を父、刺国若比売命(さしくにわかひめの)を母として生まれた神である。
国土経営の神、医療・温泉の神、開拓の守護神であり、五穀豊穣、漁業の守護、交通安全、商売繁盛、家内安全、厄除開運、さらに縁結び、夫婦和合、安産、子育て、ご利益はかなり広範囲におよんでいる。
大国主命といえば、七福神の一人である大黒様で福徳円満の神として知られている。

少彦名神(すくなひこなのかみ)
医・薬の創始者少彦名命は禁厭(まじない)や医療・酒の神として全国的に祀られている有名な神で、実父は神産巣日神(かみむすびのかみ)である。
大国主命と少彦名命の二人はともに国造りに大いに貢献している。
国土開発・商売繁盛・温泉の神、学業成就・芸能の神。

倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
全国のお稲荷さんの祭神。倉稲魂命は素戔鳴尊(すさのおのみこと)と神大市比売命(かみおおいちひめのみこと)との間の子で、宇迦之御魂神とも書く。
倉稲魂命は穀物の神、とくに稲の精霊とされ、稲荷神社の祭神となっている。稲荷は稲生りの転化したものという。
倉稲魂命のご利益は、商売繁盛、家内安全、交通安全、火災・災難除け、五穀の神である。

沿革

明治九年

村社列格

昭和十六年

社殿御造営

昭和二十九年

三百年祭斎行

昭和五十九年

三百三十年祭斎行 社務所竣工

昭和六十三年

大鳥居竣工

平成十六年

三百五十年祭斎行 本殿御屋根銅板葺替 参道整備

平成二十六年

三百六十年祭斎行 本殿・社務所改修 北門入口整備 なでうさぎ神兎設置
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